わたしの
セカンドキャリア
第7回 湧き上がる次のステップへの好奇心を羅針盤にして次の世界を見出してきた/佐藤敦さん
エンジニアから新聞社、そして現在は会社のITシステム全般を担当
社会人になっていま、4つ目の会社で働いています。
55歳ですから、この年代で日本の会社にしかいなかった割には動いているほうかもしれません。
いま振り返ってみると、なんで辞めたのかわからないというときもありました。毎回、覚悟を決めたつもりではあったのですけどね。
一番長く勤めたのは2度目の会社の朝日新聞社で、21年いました。
新卒でキヤノンに入ったんですが、レンズを光が透過したり反射したりするシミュレ―ションを開発する、すごくマニアックな仕事でした。物理学(光学)に強い関心があったわけではないけれど、海外の文献を読んでそれを現場に当てはめるのは得意だったのでさくさくと仕事をこなしていたら、ベテランのレンズ職人のおじさんたちが、これはできないか、あれはできないか、次々リクエストしてきました。
そんな毎日が面倒になって、世の中インターネットや新しい技術を使ったサービスやビジネスが次々出てきていたので、そういった流行りのバーチャルリアリティを研究している部署に志願したんです。
ところがダメといわれたんですよ。
IT勃興期をリアルに体験、キャリアを重ねながら先を読む
じゃあ、どっかほかの会社でインターネットの仕事をしたいと思って、それならコンテンツを持っている会社に行こうと思って朝日新聞社に転職したんです。
朝日の中でデジタル部門は当時、けっして本流ではなかったですが、その分インターネットの仕事を好きなようにやれたから楽しかった。
ところが、紙の新聞の業績が悪くなってきて、デジタル部門の業績は良くなってきて、社内でも注目されるようになってきた。そうなると自分も責任ある役職に就いていくわけです。会社だから内部競争もあるし、自分の組織をよく見せるとかもしないといけないわけです。人事の仕事もしなくちゃいけない。
それを楽しんでやっているところもあったんだけど、あるときこのままサラリーマンの終盤を迎えるのは嫌だなと思ったんです
デジタルをやっていると、こうしたら儲かると会社に提案しても、そんなことを本当にうちがやるべきなのか?とべき論になってしまって採用されないのですが、何年かすると背に腹は代えられないとやることになるわけです。そういったことが少し嫌になったのかもしれません。
もう少しいけば役員になれたかもしれませんが、もういいやと思ってしまって、まったく新しい化粧品の通販の会社に移ったのです。
面白い人や仕事と合えるのなら、どこでもやっていける
そこからさらに変わって、いまはCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)にいますが、私の中ではどこも同じ、転校生という感覚ですね。面白い人や仕事と合えるのなら、どんなところでもやっていけるという根拠のない自信はあります
3つのターニングポイント
今は変化が激しく、毎日がとても刺激的です。しかしこの先ずっと(70歳まで)この会社にいられるというわけではありません。仮に70歳まで働くとすると、何を目的に、どんなことをして、どんなモチベーションで働くか、答えは出ていません。今はとても恵まれていると思う反面、これで満足しているわけではないので75%(笑)
今後のわたし
元ライフネット生命社長の出口治明さんが60歳で起業されたことを知って、これからの時代はエージレスで働けると思っています。またベンチャーをやっている若い人たちの仕事を応援したいという思いがあります。自分のこれまでの経験が役立てばいいですね。何度か転職を経験して思うのは、会社に求心力があればあるほど、そこにいる社員は現状を肯定してしまうため、会社を変えることができなくなってしまうということです。朝日新聞などは特にそうだなと思いました。私はなんとなく、どこでもやっていけるという自信というか思い込みがあるので、ほかに面白いことがありそうだなと思ったら違う会社に行きました。いまの仕事は店舗運営を支えるシステムやポイントシステム基盤などの担当で、これも経験していなかったことばかりでエキサイティングな毎日を送っています。今後も好きなことを見つけたら、そこを掘っていくような気がします。ただ、その根底にあるのは、面白いものって何だろう、面白い人に会いたいという好奇心です。これはなくさないようにしたいと思います。これからは「最後の旅」を探していく時間ですね。
編集部より
佐藤さんにはじめてお目にかかったのは朝日新聞社でデジタル部門の仕事をされていたころでした。朝日新聞の社員は何人も知っていますが、まったく違うタイプで、会社ととてもいい距離感を持った方だなという印象でした。そのまま朝日にいれば出世されたと思いますが、転職されたと聞いても違和感はなかった。一年で東京に戻られたことのほうが驚きでしたが、そのわけも聞いて、納得しました。今回じっくりと話をうかがい、会社に依存していないからこそ、新しい道を可視化できるんだと思いました。何歳からでも新しい挑戦は可能だという、当たり前のことに気づかされました。
次のじぶんProject プロジェクト 編集アドバイザー 柏原光太郎